山の写真を見ていて、何度も何度も気になってしまう場所があります。
それが、八方池です。
そして、その先にある唐松岳。
まだ行ったことがありません。
だから、今回書くのは登山記録ではありません。
八方池から唐松岳まで実際に歩いたこともありませんし、そこで見た景色を語ることもできません。
ただ、写真や地図を眺めていると、どうしても想像してしまいます。
「ここ、実際に行ったらどんな感じなんだろう」
「八方池から見える山って、写真より大きいんじゃないだろうか」
「唐松岳まで歩いたら、途中で何回くらい立ち止まるんだろう」
そんなことを考えているうちに、いつの間にか頭の中では八方池から唐松岳まで歩き始めています。
もちろん、まだ行っていません。
でも、行ったことがないからこそ、今は好き勝手に想像できます。
そして困ったことに、想像すればするほど、
行きたくなってしまいます。
八方池という名前が、もういい
そもそも「八方池」という名前がいいと思うのです。
八方。
いったい何が八方なのか。
地図を見ているだけでも、なんとなく山の上にぽつんと池がある姿が浮かびます。
実際には、八方尾根を登った先にある池で、標高は約2,060m。
そこまでゴンドラやリフトを利用して近づくことができます。
この時点で、かなり魅力的です。
北アルプスなのに、いきなり登山口から何時間も歩き続けなくてもいい。
まず乗り物に乗る。
どんどん標高が上がる。
そして八方尾根へ。
そこから歩き始める。
なんだか、山への入り方としてすごく贅沢です。
「今日は唐松岳に登るぞ」と気合いを入れて出かけるのもいいですが、
「まず八方池を見てみたい」
というところから始まるのも、なんだかいい。
むしろ私は、最初は八方池に会いに行きたいと思っています。
写真で見る八方池は、ずるい
八方池の写真を見ると、どうしても思ってしまいます。
こんなの、反則でしょう。
池の向こうに山がある。
天気が良ければ、その山が水面に映る。
空が青い。
山が白い。
池が静か。
もう、出来上がりすぎています。
写真として美しすぎる。
もちろん実際には、風が吹けば水面は揺れるでしょうし、雲が出れば山が隠れるでしょう。
そもそも、写真で見るような景色に必ず出会えるとは限りません。
だからこそ、余計に想像してしまいます。
朝、八方池まで歩いていって、風がほとんどない。
池の水面が静か。
そこへ白馬三山が映っている。
……なんてことになったら、私はどうするのでしょう。
たぶん、しばらく動けません。
「唐松岳に行かなきゃ」と思いながら、
「いや、もう少しここにいたい」
となる気がします。
まだ行ったことがないので、完全に妄想です。
でも、こういう妄想ができるのも山の楽しさではないでしょうか。
白馬三山を水面に映す八方池を見てみたい
八方池から眺める山として、やはり気になるのが白馬三山です。
白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳。
名前を並べるだけでも、なんだかすごい。
山に詳しくない人でも「白馬」という名前は知っているでしょう。
その白馬の山々を、池越しに見る。
これは一度、自分の目で見てみたい。
写真では何度も見ています。
インターネットで検索すれば、いくらでも出てきます。
それなのに、写真を見るたびに、
「実際にはもっと大きいんだろうな」
と思ってしまいます。
写真は山を切り取っています。
画面の中では大きさが分かりません。
でも、自分の目で見たらどうでしょう。
池の向こう側に山が立っている。
見上げる。
首を動かさないと全部が入らない。
そんな景色だったら、ちょっと困ります。
たぶん、写真を撮ることを忘れます。
いや、撮るでしょう。
でも撮ったあとに、
「これ、写真では伝わらないな」
と言うと思います。
山を見に行くと、いつもそうなります。
八方池で終わってしまう可能性もある
実は、少し心配していることがあります。
八方池があまりにも良かったら、そこから先へ進めなくなるのではないか。
ということです。
唐松岳を目指して八方尾根を歩きます。
八方池に到着します。
そして景色を見る。
「すごいな」
と思う。
もう一度見る。
「やっぱりすごいな」
と思う。
写真を撮る。
また見る。
そうしているうちに時間が過ぎてしまう。
これは十分にありそうです。
そして私はたぶん、
「まあ、今日は八方池まででもいいか」
と言い出す気がします。
もちろん唐松岳には行きたい。
でも、山は目的地へ急ぐだけが楽しみではありません。
途中で立ち止まってしまう場所があるなら、それはそれで素敵なことです。
……などと、まだ行ってもいないのに言い訳を考えています。
でも、その先の唐松岳も気になる
とはいえ、やっぱり唐松岳が気になります。
八方池から先へ進んだら、どんな景色になるのでしょう。
八方尾根を歩きながら、少しずつ景色が変わっていくのでしょうか。
標高が上がるにつれて、見える山が大きくなっていくのでしょうか。
そして、唐松岳頂上山荘が見えてきて、その先に山頂がある。
地図を眺めながら、そんな場面を想像しています。
唐松岳の標高は2,696m。
数字だけを見ると、北アルプスの中では突出して高い山ではありません。
でも、周囲には五竜岳や鹿島槍ヶ岳、白馬三山など、名の知れた山々が並んでいます。
その中に自分が立ったら、どんな感じなのでしょう。
たぶん、
山だらけです。
当たり前なのですが、これが楽しみです。
前を見ても山。
横を見ても山。
振り返っても山。
そんな場所に立ってみたい。
唐松岳から見る景色を妄想する
唐松岳の山頂からは、どんな景色が見えるのでしょう。
私はまだ行ったことがないので、ここから先は完全な妄想です。
でも、地図や写真を眺めていると、どうしても想像してしまいます。
五竜岳が近くに見える。
その先に鹿島槍ヶ岳。
反対側には白馬三山。
さらに遠くへ視線を移すと、別の山々が重なっている。
そんな景色だったら、いったいどこから見ればいいのでしょう。
山頂に立った瞬間、
「これは困った」
となる気がします。
見るものが多すぎる。
写真を撮りたい。
でも写真を撮っていると肉眼で見る時間が減る。
肉眼で見ていると、写真を撮りたくなる。
たぶん、ずっとこの繰り返しです。
そして最後には、
「もういいや。見るだけにしよう」
となるかもしれません。
これも想像です。
でも、そんな時間を過ごせたら最高です。
唐松岳は「登る山」だけではなく「眺める山」なのかもしれない
唐松岳について調べていると、登山ルートや所要時間などの情報がたくさん出てきます。
もちろん、それは大切です。
実際に登るなら、きちんと調べなければいけません。
でも、まだ登ったことのない私が気になっているのは、
「唐松岳から何が見えるのか」
ということです。
山へ行く前から、山頂の景色を想像している。
ちょっと気が早い。
でも、これも登山の楽しみではないでしょうか。
登山の日を決める。
天気予報を見る。
地図を見る。
写真を見る。
そして、
「ここからあの山が見えるのか」
と考える。
まだ家にいるのに、頭の中ではすでに山頂です。
これはかなり楽しい。
八方尾根を歩いてみたい
そして、もう一つ楽しみにしているのが八方尾根です。
八方池だけが目的なら、そこまでの道も景色の一部として楽しみたい。
尾根を歩くというのは、なんとなく特別な感じがあります。
谷底を歩くのではなく、左右に景色が広がる。
標高を上げながら、山を眺める。
振り返れば歩いてきた道が見える。
前を向けば、まだ歩いていない道がある。
この感覚が好きです。
私はまだ八方尾根を歩いたことがないので、実際の感覚は分かりません。
だからこそ、
「ここで一度振り返るんだろうな」
「この辺りで写真を撮るんだろうな」
と勝手に想像しています。
たぶん実際に行ったら、想像とは全然違うところで立ち止まるのでしょう。
それも楽しみです。
「あの先」を見ながら歩く
登山で好きなのは、山頂そのものよりも、
「あの先に何があるんだろう」
と思いながら歩く時間です。
八方尾根から唐松岳を目指すなら、きっと何度もそう思うはずです。
あの山は何だろう。
あの稜線の先には何があるんだろう。
あそこまで行ったら景色は変わるのだろうか。
そして、また歩く。
少し進む。
振り返る。
景色が変わる。
また進む。
この繰り返し。
想像するだけで楽しい。
Maybe this is the best part.
……と、突然英語を入れてみましたが、本当にそう思います。
まだ行っていない山について、こんなに想像できる。
それだけで、もう少し唐松岳が好きになっています。
ただ、写真と同じ景色を期待しすぎないようにしたい
一方で、少し冷静にもなっておきたいと思います。
八方池の写真は、本当に美しいものが多いです。
白馬三山が水面に映っている。
青空が広がっている。
雲一つない。
そんな写真を見ると、
「自分もこれを見たい」
と思います。
でも、山の景色は写真のように都合よくはいきません。
雲が出るかもしれない。
霧になるかもしれない。
雨かもしれない。
風が強くて、池に山が映らないかもしれない。
だから、
「写真と同じ景色を見る」
ことを目的にはしたくありません。
その日に見えた八方池を見る。
その日に見えた唐松岳を見る。
そのときの天気、そのときの光、そのときの雲。
それが自分にとっての八方池になる。
そう考えておきたいと思います。
……とはいえ、晴れてほしい。
これは強く思います。
できれば風も弱くあってほしい。
白馬三山がきれいに見えてほしい。
もちろん、そんなことを願っています。
そして、いつか唐松岳へ
今はまだ、八方池も唐松岳も私の中では「行ったことのない場所」です。
だから、この記事を書きながらも実際の景色は分かりません。
八方池の水面がどれくらい大きいのか。
白馬三山がどれくらい迫って見えるのか。
八方尾根がどれくらい歩きやすいのか。
唐松岳までの道がどんな表情をしているのか。
全部、これからです。
でも、それがいい。
まだ知らないから、楽しみにできます。
地図を見る。
写真を見る。
山の名前を覚える。
ルートを調べる。
そして、少しずつ頭の中に景色を作っていく。
そのうち、
「もういいから、行ってしまおう」
となる。
たぶん私は、そうなると思います。
行ったことがないからこそ、憧れる
山には、実際に行ってしまうと分かることがたくさんあります。
写真では分からない風。
匂い。
気温。
足元の感触。
遠くの山の大きさ。
自分の呼吸。
そういうものは、その場所へ行かなければ分かりません。
だから、今の私は八方池について何も分かっていないのかもしれません。
唐松岳についても同じです。
それでも憧れています。
八方池の向こうに白馬三山が見える景色。
そこから先へ続く八方尾根。
その先にある唐松岳。
そして山頂から眺める北アルプス。
まだ見たことがない。
だからこそ、見てみたい。
この気持ちは、登山を始める前にも似ています。
「山って、どんなところなんだろう」
と思っていた頃の気持ちです。
実際に山へ行くようになると、少しずつその答えが分かってきます。
でも、分からない山がまだ残っている。
それが嬉しい。
八方池と唐松岳は、今の私にとって「宿題」のようなもの
いつか行きたい場所があるというのは、いいものです。
八方池。
唐松岳。
この二つは、今の私にとってそんな場所です。
まず八方池へ行ってみたい。
写真で見た景色を、自分の目で確かめたい。
水面に山が映っていたら嬉しい。
映っていなくても、その日にしか見られない八方池を楽しみたい。
そして、そこから唐松岳へ。
途中で何度も立ち止まりながら。
山を見ながら。
妄想しながら。
写真を撮りながら。
そして最後に唐松岳の山頂へ。
そこで、
「来てよかったなあ」
と言いたい。
たぶん、かなり大きな声で言うと思います。
周りに人がいたら、少し恥ずかしいくらいに。
でも、それくらい嬉しいと思うのです。
八方池と唐松岳。
まだ行ったことがないからこそ、今は何度でも想像できます。
八方池の水面に白馬三山が映る。
その向こうに青空が広がる。
八方尾根を歩く。
少しずつ標高が上がる。
振り返る。
また山が見える。
そして唐松岳へ。
……いや、これは行きたい。
かなり行きたい。
I really want to go.
まだ見ていないからこそ、憧れます。
そして、憧れている時間もまた、山の楽しみなのだと思います。